大人の責任
今治市で起きた「いじめ自殺」について、3日の静岡新聞の社説で大きく取り上げられていました。
中1の男子が残した遺書
最近生きていくことが嫌になってきました。クラスでは「貧乏」や「泥棒」と言う声がたえず響いていて、その時は悲しい気持ちになります。それがもう3年間も続いていて、もうあきれています。それに、毎日おもしろおかしくそいつらは笑っているのです。そう言うことでこの度死ぬことを決意しました。
私が、死んだ後の物は(弟2人の名前)で分けて下さい。机にある小判は私だと思って持っていて下さい。
(弟2人の名前)は僕の分まで長生きして、いい職について下さい。
いつも空から家族を身(原文のまま)守っています。
さようなら
いままで育ててくれてありがとう
母さん父さん
By.(男子生徒の名前)
短い文章から感じ取れる彼の辛さや苦しさで、やりきれない思いになる。やり場のない怒りが、噴出しそうになります。
社説では、小6の時に泣いていた彼をみた教師が「いじめに立ち向かう」と話したことから安易にいじめは解決に向かうと信じてしまった学校の対応、いじめを「悪ふざけ」と判断する裁判所など、いじめの深刻な状況を、いつまでも見てみぬ振りをする大人を批判している。
また、私が知らなかったこと、小さな町で小中学校通して一学年一クラスの環境におかれていたことなどがわかり、だからこそ大人の関わりが重要だったことがわかりました。
先週末、
朝日小学生新聞の記者さんから連絡があり、今治市のいじめ自殺についてコメントを求められました。
子ども達に、どのようなことを伝えることで、いじめがなくなるか?ということでしたが、大人が子どもにお手本となる行動を示さない限り、「いじめてはいけないことなんだよ」、「いじめられるとこんなに辛いんだよ」と大人がいくら伝えても、いじめの現場にいる子ども達の心には届きません。
私自身がいじめの認識が足りなくて、荒れていた学校の様子を聞いていたのに、太郎の事件を防ぐことができなかったことを反省していること、いじめを子ども達だけの問題にしてしまうのではなく、大人の関わりが大切なことを気づいて、活動を始めるきっかけになったこと、子ども達が、ひとりで悩んだり、苦しむことがないような社会を作りたいという思っていることを伝えて、記事にまとめていだだきました。
すぐに全てが変わるわけではないけれど、少しでも多くの大人に気づいてほしい。
子どものいじめをなくすには、大人の関わりが必要です。
子ども達を、被害者、加害者にもさせないために・・。
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