もうひとつの事件

vianca

2006年01月28日 14:01

6年前の1月28日の夕方、前々日の暴行事件に続いて、2つ目の事件が起きました。
                      
息子太郎の同級生10数人が、自宅に押しかけてきました。
太郎は、入院はしませんでしたが、全身打撲で身動きができなく、布団から起き上がるにも、着替えもトイレに入るのにも介助が必要な状態でした。
夕方、太郎が眠っているときに玄関でチャイムが鳴りました。時間帯から、教師の訪問と思いましたが、狭い我が家に招き入れて太郎を起こしたくないと思い、私は居留守を使いました。しばらくすると、またチャイムがなり、次はチャイムを連打し、ノブを激しく引っ張っるので、「何かおかしい」と感じました。玄関先を離れる人の気配がしたので、私は玄関を出て階段を降りて、1階と2階のマンションの階段の踊り場から身を乗り出すと、マンション西側に歩いていく少年たちの後姿が見えたので「26日になぜ暴力を振るったのか理由を聞きたい」と思い、追いかけていくと、マンション西側にある空き地に、大勢人がいたので驚きました。
最初は、彼らが何をしに来たのかは全くわかりませんでした。26日の現場にいた顔見知りの少年に「何しに来たの?」と聞きました。彼は「太郎が先に手を出した。太郎が悪い」と言いました。

26日の事件は、下校中に少年Yが前に歩いていた太郎をからかおうと思いつき、ラリアットのように肩から首の辺りにぶつかってきたので驚いた太郎が、振り払うように出した足がYの手にかすったことで、Yが怒って執拗な暴力を振るったと聞いていました。私は、ここでどっちが先に手を出したかどうかと言い合うよりも太郎に暴力を振るった理由を聞きたいと思い、「誰が悪いかなんて問題じゃない。どんなことをしたかわかっているのか」と言いました。すると少年kが「てめーだから、太郎が悪いといってんじゃねぇか-」と私に向かって凄みながら言うと、「そうだ。そうだ。蹴っ飛ばしたときすごい音がしたぞ」と少年らが同調し騒ぎ出しました。私は、恐怖を感じ1人では対応しきれないと判断して、100m離れた会社に主人を呼びに行きました。
主人・従業員に「子ども達が大勢でマンション押しかけてきて、太郎が悪いと言って脅し騒いでいる。」と伝えると、私のただならぬ雰囲気を察して3人が、すぐにマンションに向ってくれました。私は学校に連絡して、東警察署に通報して現場に戻ると、マンションの大家の奥さんもいました。

主人が「何しに来たんだ」と聞くと、「太郎が先に手を出した。太郎が悪い」「そうだ。そうだ。蹴っ飛ばしたときすごい音がしたぞ」と大声で騒ぎ、主人が「いい加減にしろ」と言うと、「てめーなんだ」とkがまた凄み睨み付け、私が戻った後も、私達大人に向かって睨み付け「太郎が悪い」と騒ぎ続けました。私は半分以上少年らの顔と名前が解らなかったので、啖呵切ってる少年から2~3人を名前を聞きましたが、誰も名前を名乗りませんでした。

学校への通報から10分位経ってから、学年主任、太郎の担任ともうひとり3年生の担任、生徒指導主事の4人の教師が到着すると、少年らは一旦、静かになりました。
私は、「Yを庇っているつもりかもしれないが、こんな行動はYのためにはならない。Yが悪いと言ってあげるのが本当の友情で、こんなのは本当の友だちではない」と話しました。太郎の状態を知ってほしくて、太郎が身動きできない状態であることも話しました。被害を解ってくれる子がいるのではないかと思いながら話をしましたが、残念ながら被害が感じ取れない様子で、少年らは私達を相変わらず睨みつけたり、全く態度は変わりませんでした。

教師らは、最初に学年主任が「何をしている」と一言発しただけで、最後まで他の教師も騒ぐ生徒静める手だては取らず、私達にも何も話かけることはありませんでした。
私と主人は、あまりにも人の痛みがわからない、自分達の行為の重大性が解らない少年らに怒りと失望を感じました。彼らをますます刺激する事や怒鳴ることについて非難されるだろうということも解っていましたが、何もしない教師らにも期待が持てないと感じ、同時に「こんな奴らに太郎が傷つけられた事が許せない」という怒りの気持ちも加わり、太郎の事を守れるのは、私達両親しかいないと思いました。
彼らに向かって「どうしようもない奴ら」「馬鹿」という罵声を浴びせました。そのことで今度は、Sが「なんだてめー」と啖呵を切り、kとIがすごい形相で私達を睨みつけてきました。
少年らの中でも、暴言を止めさせる少年は誰もいませんでした。

太郎から日頃聞いていた学校での問題行動を起こしている少年らの様子を、私達はこの時目の当たりにして、学校の荒れている様子は間違いないとわかりました。

そして、目の前で起きている出来事に対して教師が4人いても、何も出来ない(しない)こともわかり、「学校は安全ではない。教師らが太郎を守ることはできない」ことが、はっきりとわかりました。
従業員が「近所迷惑になるから、生徒達を学校に連れて帰り学校で話しを聞いてください」と教師らに指示をすると、学年主任が私達に「またこのような事件が起きてしまってすいません。自分たちの指導不足です。」と謝罪し、少年らにも「謝りなさい」と言いましたが、私達は「形だけの謝罪はいりません」と断りました。
少年らの中には、頭にタオルを巻き、スケートボード持ってきてる子がいました。

主人は、押し掛けて来た生徒の名前、保護者名、連絡先を書いた報告書を、学年主任に求めると「私の判断ではできない。上司に相談しないと・・」と言いひどく困惑した様子でした。主人は、「これは、相談でなく私達の希望である。これは、大変な出来事である」と報告書をすぐに届けるように再度伝えました。なぜか生徒指導主事は、高見の見物の様に終始へらへら笑っていました。「笑うなんて失礼」と一喝してもまだ笑っていました。生徒指導主事に、注意する先生はいませんでした。

少年らは、教師の指示に従い、学校の方向へ歩いて行きました。私はそのあと、歩き出した途端に気分が悪くなり、マンションの入口までどうにか従業員に支えられる様に歩きましたが、階段を上ることができず、抱きかかえられて自宅に帰りました。

私が自宅に戻った時、太郎は起きていました。私の様子を見て、「どうしたの?何かあったの?」と聞いてきましたので、知っている少年の名前を挙げて「仲間をたくさん連れてマンションに来た」と簡単に話をして、その後1時間ほどウトウトしました。
私は1時間後にやっと起きあがることができ、丁度心配して様子を見に来てくれた従業員と先程起きたことを太郎に話しました。太郎は話を聞いて「玄関をこじ開けようとしたということは、俺を襲いにきたんだ。鍵が開いていたら家に押し入ってきて、俺はまた襲われていた。動けないから大人数で来られたら殺されていた」と震えて怯えました。

20時頃、やっと主人が帰宅しました。警察は、何度も電話で場所を確認したのにも関わらず、現場にきませんでした。 駐車場に停まっていた警察車両に気づいた主人が声をかけると、警察官は「車中から様子を見ていた」と言い、は「自宅の鍵が開いていたか」「死ねとか殺すとか火をつけると言われたか」と聞いただけで、その後「学校に行き話を聞く」と言って帰っていきました。

20時頃、教頭から自宅に電話があり「報告書は遅くなるが、今晩中にFAXで送る」ということでしたが、結局報告書はその日には届来ませんでした。

太郎はこの事件が起きたことにより、常に「襲われる・殺される」という恐怖を感じるようになり、一人では全く外出することができなくなり、PTSDを発症しました。

私が直接関わったこの事件は、このあと事件にもならず、いまもなぜこのような行動を少年らが起こすことになったのかもわからないままとなっています。学校の報告書は、「両親が暴言を吐き、生徒達が言い返した」という内容にまとめられていました。
学校は、10人と生徒の名前を後日報告してきましたが、私達が見た限りそれ以上の生徒がいました。

26日の事件について、穏便に解決しようとしている様子が伺えた学校も、これできちんと事実を認めてくれて、生徒に指導をしてくれると思っていた私たちでしたが、この事件が起きたことにより、ますます事件を隠蔽されることになるとは、思ってもいませんでした。

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