私が、息子を守りたいと思った最大の理由は、2000年に起きた佐賀のバスジャック事件のあと、太郎が「僕は何年かしたら、人を殺してしまうのだろうか」と話したことだ。
バスジャック事件が起きたのは、太郎の事件から3ヶ月後のこと。
わが家は、加害者や学校、教師達へ対する怒りの感情に溢れていた。
情報の隠蔽の他に、地域にも事実と違う噂が流れていたり、我が家への誹謗中傷という、2次被害が始まっていた。
大人の私たちでも、現状が受け入れらず、戸惑いや不安や悲しみ、怒りの感情が入り混じり、毎日が苦しかった。
起きている時間は、事件のことが片時も頭を離れなかった状況で、太郎はどんなに辛く悲しいだろうと思っていたけど、面と向かって聞くことはできなかった。
PTSDの症状にも、当時は理解が及ばす、対処に困惑していて、太郎は自殺してしまうのではないかと不安もあった。
そんなときに、17歳の少年によるバスジャック事件が起きた。
事件後に、少年の事件の動機が明るみになっていくうちに、太郎が私に話した一言は、私の心を大きく揺さぶった。
「僕も何年かしたら、人を殺してしまうのだろうか?」
自分のことを認めてもらうことのできない怒りが、加害者や学校にだけではなく、社会に向けての怒りに変わっているようなことを話始めた。「犯人の気持ちがよくわかる。自分もそうなっていくような気がする」と話した。
私は、どうして太郎を守れるのか、親として何をしたら良いのか、正直わからないままだったが、このときから「絶対に太郎を守る。加害者にはさせない」と思った。
また、事件から1年半経ってから、入院治療を受けた中で診断基準の項目にあった質問には、太郎は「30歳まで生きることができないと思う」と答えている。心の傷の深さが、未来への絶望感として現れていると、医師より説明を受けた。
入院生活では、10代から20代の心に傷を負った若い人たちが入院していた。
太郎は、努めて怒りの感情を抑えていて、「人を傷つけることはしたくない」と言っていた通り、事件前より人には優しくなったようにみえた。私たちも、人を傷つけることはしたくないと思っていたが、自分が傷ついたからといって、人は優しくなれるばかりではないことを知った。「被害者が加害者になってしまっときのケアの方が難しい」と医師から聞いた。加害者になってしまった自分に気づいた時の罪悪感から、自分を許せないと思うとき、再び深い傷を負うことで、治療が困難になっていくそう。太郎は、2回目の入院のとき暴力行為でしか心の傷を表せなくなってしまった友人の変わりように戸惑っていたが、数年後、その友人は自ら命を絶った。
心に傷を負った人は、同様な出来事で、また自分が気がついていない出来事でも、突然フラッシュバックに襲われることがある。どこで、スイッチが入るのか個人差がある。
いま、いじめ問題が大きく報道されている。
学校や教育委員会、加害者の問題を連日のように報道されると、心が締め付けられるように苦しくなる人がいる。
大津市の教育委員長が襲われた事件の加害者の大学生も、同じような経験をしてきたのではないかと感じている。
確かに私たちも、『ハンムラビ法典』なるものがあれば良いと思ったことは、少なくない。
でも、加害者に仕返しをしたところで、根本的な問題は何も変わらない。
それより、太郎の回復に必要なものは何かと考えたとき、一番必要なものは「事件の真相を知る」ということだった。
多くの感情が入り混じり、毎日心は大きく変化しながら、「事件の真相を知る」をために冷静に考えることが少しずつできるようになった。私たちを理解してくれる人とも出会え、本音を語れる仲間もできてきたことで、一番辛い時期からは、脱出できた。もちろん、悲しみや辛さ、怒りの感情を失くしたわけではない。
毎日怒りや悲しみの中で暮らしてきた生活から、平凡な日常生活に戻るまでに7年ほどかかった。
苦しかった裁判も誹謗中傷も、情報を得るためには真実から程遠くても役立った。何が事件の解決の障害や問題になっているかを知ることができた。しかし、太郎の回復には、ひどく遠回りとなったと感じている。
多くの被害者や遺族とお会いしてきたが、怒りや悲しみの中でずっと暮らしたいと思っている人は誰もいない。
被害者や遺族の回復に欠かせない「真実の解明」を図るために、情報の混乱は避けてほしい。
今回のように、報道で大きく取り上げられた事件・事故は、過熱すると真実が何なのか見えにくくなる。
当事者は、ひとつひとつの情報に、大きく心を揺さぶられる。関係機関は、外部対応に追われることになり、本来必要なことへの対応ができなくなったり、おろそかになる。
確かに嘘や事実の隠蔽は許されることではないが、できるでけ多くの方には、誰かを責め続けることより、これから私たちが何ができるのかを一緒に考えてほしい。
そして、被害者を加害者にしてはいけない。
被害者が加害者になってしまった事件の相談を受けたことがある。何年も経ってから、いじめた加害者の家に放火してしまった男性は、逮捕後精神鑑定を受けて、いじめによる心の傷が診断されたが、司法は心の傷に理解が足りなかった。
嘆願書や署名を集めて減刑の理解を求めたたが、放火は重罪と罪を裁かれて、罪を背負い、罪を犯した加害者となって、、また傷を深い負ってしまったが十分な治療が受けられないまま、医療刑務所では、要注意人物と扱われて大量の薬剤を投与されて廃人のようにされていると聞いた。
社会の暴力の連鎖を断ち切ることは、いじめの再発防止にも繋がるはずだ。