2001年11月に、民事裁判を提訴してから発行してきた「裁判ニュース」。
A4用紙の2枚にまとめて、裁判の経過を「裁判ニュース」にして、友人や知人、支援者の方達、取材をしてくれたマスコミ関係者の方に、お知らせしてきました。最終号は、20号。
東京高裁の判決から、1ヶ月以上が経過しましたが、相手側からは何の連絡もありません。
仕事と今回のいじめ報道の影響で裁判のことをあまり考える時間もなく、あっという間に1ヶ月が過ぎました。
いままで、たくさんの方達に、様々な形で応援していただきました。
きちんとした報告をしなくては思いながら遅くってしまいましたが、ただいまニュースを作成しています。
先日、取材を受けたフジTVの記者さんが、いじめ裁判について関心を持ってくださり、「何か記録はありますか?」と聞かれましたので、裁判ニュースを送ることになりました。
あらためて、1号から読み直してみました。
民事裁判は、ほとんどが書面のやり取りだけで、最初は
原告の私たちでさえ、わからないことだらけでした。せっかく傍聴に来ていただいても、裁判官と弁護士の数言の会話が交わされるだけで、5,10分で終わっていまします。法律用語もわかりにくく、司法制度もわかりにくい。弁護士からの説明を聞きながら、ニュースにはわかりやすく書くようにしていましたが、読み返すと私自身がとまどっていた様子を思いだします。
民事裁判裁判は、公開して行われますが、原告と被告が裁判所へ提出するそれぞれの主張や証拠が法廷で読みあげられたりすることはありません。公開裁判といわれているけれど、ごく一部の人しか詳しいことは知ることできません。争いごととはいえ、読むと数日間は立ち直れない、繰り返される被告の嘘やことごとく事実を否定される酷い反論が、公になることはありません。
なぜ、裁判を起こさなければならなかったのか?
裁判を起こしてからはっきりする、大きな認識のズレは、学校の初期の対応から始まっていることがわかります。
いまTVのニュースから、
埼玉と
大阪で2件の子どもの自殺が報道されています。いじめによる自殺が、考えられるということ。
一方で、いじめを市教委に報告しなかった
校長が自殺したという事も、報道されている。
これだけ社会問題とされながら、いじめ自殺を止める事が出来ない現状と、いじめを隠し続けないといけない学校の現状がかわらないのは、なぜでしょう・・。
毎日の報道が、とても心に重くのしかかり、苦しい。