福岡県筑前町のいじめ自殺をした生徒の家に、
複数の同級生らが、遺族に「悪いことを言ったかもしれない」と謝っていたことがわかりました。
いじめが起きたとき、いじめられた子どもの救済を行うと同時に、いじめっ子への対応・指導も大切です。
いじめを否定するということは、いじめられた子を救わないばかりか、いじめっ子の問題は放置されたままとなります。
文部科学省が行っているいじめ調査では、いじめっ子についての調査は何も行われていません。
いじめが起きる背景、いじめっ子の問題に触れないで、いじめ問題の解決は図れないと考えます。
いじめられっ子の被害の重大さを、いじめっ子にわからせる対応、指導はほとんど行われていません。
学校では、いじめ自殺で亡くなった子どもの葬儀に、いじめっ子を参列させなかったり、子ども達に「学校の悪い噂がひろがらないように」と口止めさせたり、いじめっ子の親や他の保護者にに遺族との接触を禁じたりします。
我が家のケースは、暴行を振るった主犯の少年の両親は、1ヶ月半の間は毎日両親が謝罪に訪れてはいました。少年は4回だけでした。
謝罪といっても、「申し訳ありません」とただ頭を下げるだけでした。
1ヶ月近く経ってから少年と母親から手紙が渡されましたが、少年の手紙はどこかの手紙の定型文の引用がされていて、母親の手紙の内容の方が稚拙なものでした。そのあとは、お見舞い品の攻撃に変わりました。
半年経ったある日、少年の父親が「喧嘩の謝罪に来ている」と言って驚きました。
母親は、「謝罪に毎日行って、手紙もお見舞い品も持って行ったのに冷たくされた」と、私たちを最後まで非難し続けていました。
その後裁判の中で、「先生から毎日謝罪に行きなさいと学校から言われたので行ってました。手紙を書きなさい、お見舞い品を持っていきないさいと言われましたので、その通りにしました」ということを知りました。
大人の責任を回避するための形だけの謝罪は、被害者・遺族の望む謝罪とはかけ離れていきます。
学校からは教師が、いじめられた子の家庭に何回訪問したか、電話したかという回数が、学校の誠意ある対応と言われたりします。(ちゃんと数をカウントしています)
大人の責任ばかりが問われる対応が優先される中で、いじめっ子が、自分の行為の過ちを認めて反省させる機会を失わせているように思えてなりません。