事件から、8年が経って

1月26日、8年前に起こった事件が、私の活動の出発点。

26日の夕食時、「8年、経ったね」と私が話しかけてみました。
太郎が、「そういえば、思い出さなかったなぁ」と言いました。
「引っ越しをして、事件に関わる場所から離れたせいかな?」と、言うのが本人の分析らしい。

事件直後には、引っ越しも考えたけれど、自営という仕事上、難しかった。何度か家族で話し合って、太郎が引っ越しをしなくても良いと言ってくれたので、引っ越ししませんでした。
事件後も続く嫌がらせと、加害者が近所にいることで、家の中にいても恐怖に怯えていた日がありました。
そのような中でも、段々に症状が軽減されていると思っていましたが、入院して初めての外出で家に帰ってきたとき、太郎は車から降りることができませんでした。
病院という安全な場所にいて、警戒心から解き放されていたのですが、自宅に近づくにつれて警戒心が高まり体が恐怖で動かない状態でした。そのとき体に起きた変化は、自分での全く予測しなかったことだったそうです。
この外出を通して、入院前には、心を麻痺させることで、恐怖を感じることのないように防御していたことがわかりました。
PTSDの症状のひとつ「回避症状」では、恐怖心だけではなく、すべての感情を麻痺させ断ち切ってしまうことがあります。

教育再生会議が提言したいじめ対策のひとつとして、「転校の選択」という項目もありましたが、引っ越しや転校で問題が解決するものではありません。
「時間が解決する」という言葉がありますが、時間が経っても変わらないこともあるし、確かに時間の経過の中で変わっていくものもありました。

時間が解決するには、長い時間がかかります。時間が経っても残るのは、「心の傷」。
太郎は、事件後と今も心の傷を負った辛さは変わらないと言います。
しかし、体の傷が治っていくように、心の傷は人によって癒されることができます。

我が家の場合は、裁判を通して、すべて解決となった訳ではないけれど、事件と向き合ってきたことでいじめの事実とPTSDが認められてたこと、活動を通して理解や支援をしてくれた人達との出会いがあったことが、心を癒していきました。
いまは、心穏やかに日常生活を送れるようになりました。

未だに、心の傷への対応が充分に行われていない現状を何とかしたいという思いは変わらないでいます。
事件直後には、加害者となったこどもの達も抱えている心の傷についても知ることとなり、「子ども達が、被害者にも、加害者にもならないために」と取り組んできた活動を、これからも続けていこうと思います。


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この記事へのコメント
いじめ問題に逃げずに闘ってくれたからこそ、未来の子どもたちを育てる私たち親も深く考えることができました。ビアンカさん一家に頭が下がります。
Posted by おかみさん at 2008年02月02日 10:01
>おかみさん

泣き寝入り寸前まで追い込まれたけれど、私達は一歩を踏み出せました。あとは、流れに任せてきたけれど、あまりにも声を挙げることができない人が多い現実を知りました。

私達を救ってくれた人がいたので、私達ができることがあればと考えるようになりました。
このように伝えることができ、一緒に考えてもらうことができると嬉しいと思います。
Posted by vianca at 2008年02月03日 00:20
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