2000年1月、太郎の事件が起きた時期を同じにして、富士市内の小学校で、いじめが起きていました。
Aさんは、当時小学校5年生。勉強にもスポーツにも、何事にも一生懸命取り組んでいる明るい女の子でした。
5年生の3学期が始まると同時に、Aさんに起きたいじめは、6年生の6月まで120回以上(毎日、複数のいじめが起きていたので一つ一つ数えるとこれ以上の数になる)、学校内で毎日のように繰り返し起きて、段々にエスカレートしていきました。
しかし、Aさんだけではなく、誰一人教師が学校内で起きたいじめを目撃することはありませんでした。
校長をはじめ、担任は、いじめの目撃者がいないことを理由を、Aさんの「自作自演」と早期から決め付けていたことが、後日わかりました。
Aさんは、いじめがいつかなくなることを願って、大好きな学校へ休まず登校していましたが、6月29日以降、登校できなくなりました。
3学期の始業式の日から、数日間はAさんのかばんや音楽セットなどの持ち物に、切り刻んだ紙が入っていましたが、Aさんとお母さんは変な気はしていても、このときはいじめとは思いませんでした。
1月20日、上履きに画鋲が入れられているのを見て、Aさんは初めていじめられていると思いました。その日から、筆箱やランドセルのポケット、上履き、運動靴に絵の具を入れる、消しゴムが半分に切られる、給食袋や筆箱に糊が入れられる、教科書やドリルに落書きをされる、教科書やアドレス帳を破られたり、切られたりする、上履きやランドセル、教科書のAさんの名前をマジックで消す、筆箱に針を入れられる、ビニールバックや筆箱をカッターナイフのようなもので切られる、水のみ場で後ろから叩かれて骨折して直りかけている足を蹴られる、トイレに入っているところへ雑巾やトイレットペーパー、洗剤が投げ込まれるなどのいじめは続き、6月に入ってからは、トイレに入っていると墨をかけられるようになりました。楽しいはずの修学旅行先でも、墨を染めこませたトイレットペーパーを投げ込まれています。
毎日続き、エスカレートしていくいじめで汚された物の汚れをふき取ったり、破れた教科書をテープで補修する作業を行うことは、いじめを受けた、知ったとき以上に、辛くて悲しいことです。
自分の持ち物のひとつだって、汚されたり、壊されたりすれば、悲しくなります。墨を頭からかぶってしまった時は、とても惨めな気持ちだったと、Aさんは言っています。
両親は、いじめをしている子どもを早く見つけてほしい、早くいじめを解決してほしいと願って、学校へ何回も行きました。
校長は、「犯人探しをしたくない」と言って、両親がいくつか提案した解決方法を拒み続けました。
担任はAさんを見守ると約束しながら、1月末にはAさん自身がいじめをしている以外に考えられないと思いこむようなり、職員会議で報告をしていました。
それ以降は学校においては、いじめそのものに目を向けることなく、「Aさんの言動がおかしい、不自然」という観点から、Aさんを日々監視していくようになり、エスカレートしていくいじめに対して、何の対処をとることもしていませんでした。
写真は、静岡のメッセージ展で展示した、Aさんがいじめによって汚された服やいたずらされた教科書やランドセル。