教育改革国際シンポジウム報告の続き
調査結果の報告の前に、調査研究に関わったいじめ研究の第一人者である
森田洋司氏(現大阪樟蔭女子大学教授と滝充氏(国立教育政策研究所生徒指導研究センタ-・総括研究官)の対談がありました。
今回のシンポジウムの開催趣旨には
、「いじめ問題は子どもの不登校や問題行動の予兆と捉えることができ,いじめ問題に適切に対応することで,子どもの問題行動等の発生を全体として減らしていくことが可能となります。」と明記されています。
森田氏のお話は大変わかりやすく、いじめが社会問題であるという理解を深めていくには、多くの人に知ってもらいたいと思う内容でした。
私が、印象に残ったことを、書いて見たいと思います。
子どものいじめに対して起きる大人の反発、捉え方の誤解について
・いじめは、単なる言葉や身体的な攻撃ではない。
子どもの人権問題である。学校は、子どもの社会であって、いじめのほとんどは、学校という子どもの社会で起きている。大人が、どう捉えるかの問題である。
・いじめは、ふざけ、嫌がらせに過ぎない。
いじめは、深刻な問題。恐喝・暴力などの、刑法に関わるものは、犯罪にしても良い。
いじめで負った心の傷は、消えることはない。心の傷が、子どもに与える影響は大きい。いじめを見ている子どもが、心の傷を負うこともある。
・子どもの社会に、大人が関わらない方が良い(子どもの喧嘩に大人が口をだすな)
社会の中に、「いじめ」をどう位置づけていくか、大人が考えるかどうかが問題である。
子どもの資質と能力を育て、子どもの社会性を高めることが大人の役割である。大人の協同性が崩れている社会だからこそ、大人が関わる必要性がある。
子どもに起きている問題の捉え方
・たとえば不登校においては、30日以上の欠席をしている子どもたちを不登校児童・生徒として、数で取り上げて問題を表面化しているが、不登校とされていない子どもたちに、視野を広げて教育が本来向き合うことが必要。グレーゾーンの子どもたち、学校に行きたくない、学校に行くのがしんどい、学校を回避したいと思っている子どもたちはたくさんいる。
いじめが不登校児童生徒には、多く関わっている。
いじめも同様に、表面化されているいじめ、大きく報道されるいじめに対しては対応がされるが、潜んでいるいじめには目を向けない。表面化されるいじめのすそに広がる問題が、大きな問題だという認識を持つことが必要。
・いじめの原因論をはっきりさせない
受験戦争、島国気質、違うものを排除する、過去の戦争の影響など・・極端な発想をしない、極端な問題解決を図らない、いじめは特別な問題ではないことを知る。
二人以上の人間がいれば、いろんな能力差を瞬時に察知し、力関係が発生する。認め合えば、社会的資源になる力関係を、悪用すると「いじめ」になる。しごきと証する「善意」のいじめも行われる。
人間関係の背後に潜んでいる、見えにくい力関係を「いじめ」にしないように防止すること、教育することに、すべての大人が関わることができる。
子どもの力を信じて、支援していくことが大人の役割。
いまなぜ、いじめなのか?
子どもたちの社会性の未成熟が問題とされているが、これからの社会をどうしていくのかを考えることが重要。社会意識の形成には、時間がかかる。
時代は変化しているので、過去の共同性が大切とか言っても、過去の社会は戻れないので、過去に戻そうとしないこと。
子どもの個性を引き出すこと、周囲がどう理解を調整していくか、学校や行政任せにするだけではなく、それぞれの大人が社会性を自立させていくことで、子どもたちが社会における「所属感」を高めることができ、子どもたちの社会性は成長していくことができる。
このシンポジウムは、問題解決を図るだけではない、日本の課題に繋がるものでありたい。
☆森田洋司氏の考えるいじめの定義☆
いじめとは 同一集団内の相互作用過程において優位に立つ一方が、意識的に、あるいは集合的に、他方に対して精神的、身体的苦痛をあたえること。
研究者間では、森田氏のいじめの定義が多く使われています。今回の調査においても、いじめの定義は、森田氏の定義を引用している。