思いやりが感じない

世田谷の放火事件の少年が、今年1月下旬まで在籍していた都内の区立中の校長が新聞の取材に応じたという記事を見ました。

校長は以下のように話した。

男子生徒が1年生だった一昨年秋、所属した野球部でのトラブルをきっかけに、学校を休みがちになった。
 トラブルは先輩部員との間で起きた。キャッチボール中に男子生徒がふざけて先輩部員にボールをぶつけたところ、怒った先輩からボールを投げ返され、けんかになった。同じ時期、同級生の部員から言われた言葉も「悪口」と受け止めていたという。
「野球より友達を求めて部活に参加しているような生徒だった。それだけに仲間とのトラブルは深刻だったかもしれない」と校長は話す。
 野球部の顧問らが仲裁し、休んでいた部活には出るようになった。だが次第に欠席が増え、1年の3学期にはほとんど登校しなくなった。
 男子生徒の両親は7年ほど前に離婚し、当時、男子生徒は母親と暮らしていた。校長は「部活での問題以外にも不登校の要因があったのでは」と振り返る。
 

少年を一時保護した、都児童相談センターの職員は、今朝のTV番組の中では「少年は、中学校でいじめを受けて不登校になった」と言っていました。

どちらが本当なのかはまだわからないけれど、校長の話は自分の学校の生徒を大切に思う気持ちが伝わってこない。
両親の離婚や片親だから、非行や問題行動、不登校の原因になるという、未だに偏見的な見方は間違っていると思う。

太郎と同じように、同級生から暴行を受けてPTSDを発症した息子のお母さんは、離婚したことが子どもの人格を歪ませて、いじめられる原因を作った、被害をオーバー訴えているといわれ続けました。さらに、離婚したことの原因まで追求され責められたそうです。

本人の欠点や家庭環境をここぞとばかりに非難する発言には、いつも腹立ちさと悲しい思いを抱きます。


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