静岡新聞の記事ー女子中学生買春事件ー

静岡新聞の記事ー女子中学生買春事件ー

3月に報道された「浜松市女子中学生買春事件」。
その後、買春行為をした大人たちが起訴処分を受けたことは、新聞に掲載されていましたが、女子中学生達については、何も知ることができませんでした。

先日、集まった仲間の話の中で、「事件直後の報道だけで何事もなかったかのようになっているけれど、大きな事件ではないの?身近で大きな事件が起きたと、認識されていないの?」という話がでました。
事件を起した子ども達の背景、事件に関わる大人の関与、学校の対応はどうだったのか、子ども達への影響など・・けして、稀な事件とは思うことができない子どもたちの事件が、このままではいけないのではないかと思いました。

22日の静岡新聞の朝刊から、この事件を追跡した記事の掲載が始まりました。
「普通の少女らがなぜ」という小見出しがついていました。
21日に岐阜県で起きた、「中2少女殺害事件」の被害にあった少女も「普通の少女だった」と新聞記事に書かれていました。

「普通の少女」って、何を基準に示しているのでしょうか?
普通に見える子ども達が事件を起したり、被害にあったりするのであれば、「普通」の中に現代の子ども達に関わるの問題が潜んでいるのでしょうか?

私達が知ることで、何か学ぶことがあるかもしれないと関心をもって、記事を読んでいきたいと思いました。


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この記事へのコメント
「普通の子」、「良い子」と、まとめられ

心を、よく見られていないんだと感じます。

何かを訴えようと外で、暴走する子どもより、

心を閉ざし、一人で悩み、爆発してしまう子どもが増え、

親や、大人達は、子ども達からのメッセージに気がつく事が難しい時代のような気がします。


家族との会話、コミュニケーションが、閉ざされた心へのカギだと信じています。
Posted by みつかわ まさき at 2006年04月25日 00:01
>みつかわ まさきさん

家族との会話が少ない、コミュニケーションが取れていない子ども達、結構いるんですよね。

「普通の子」、「良い子」とうちの加害者の少年たちの親が未だ子どもを庇って言い続けています。

「お金には、不自由させていない」
「勉強も部活もできる子なのに」
「親思いのやさしい子」
「一度も、学校から呼び出されたことはない」
「子どもの喧嘩なのに」

「どうしてこんなことしたのか」と、子どもに聞いていないことがわかります。
時間が経つに連れて、彼らのやりきれない気持ちも見えてきたような気がします。
Posted by vianca at 2006年04月26日 00:52
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