当事者としては、わが子のことに対しては、もちろんいまも学校や行政等の対応に対して許せない感情を持ち合わせていますが、私たちはわが子や自分の体験を無駄にしないため、2度と同じことが繰り返されないことを願って活動を続けています。
これを学校や行政批判としてだけ、捉えないでほしいことを願います。
私たちから見て、あまりにも今の学校の先生達は忙しすぎると思います。授業以外の会議や研修、部活指導、生徒指導等、その多忙ぶりは私たちにも伺い知ることはできます。
最近私が参加したふたつの集会で、先生達から「これ以上、教師に負担を増やさないで」という声を聞きました。
ひとつは、昨年11月に起きた広島と栃木で下校中の小学1年生の女児殺害事件が起きて、登下校の集団登下校や付き添いの対応が取られていた12月の初旬の学校災害の集会の中で、ある教師が「登下校の付き添いをいつまで続けられるかわからない」と発言しました。すると、参加していた教師達から、次々に学校現場でいかに教師が忙しいかという発言が続きました。そのうちひとりの教師が、その多忙ぶりをおもしろおかしく紹介すると、会場の半数くらいの参加者から笑いが起りました。
この集会には、学校事故で子どもを亡くした親や、重い障害を負った子どもの親が参加していました。
この集会に遠方から招かれて、子どもを亡くした体験談を話された、最前列に座っていた遺族の母親は、怒りをあらわにして後ろを振り返りました。私も、その笑いに不快感を覚え、腹が立ちました。静まりかえっていた参加者は、たぶん遺族や被災者の親だろうと思いました。
休憩時間に、後ろを振り返った母親に声をかけると、私と同じ思いであると言って、もう帰ってしまいたいと言っていました。
「子どもが命を失った、怪我をした、いじめに遭って、教師が忙しいと理由で対策・対応ができなかったからと説明されても、納得できる親はいない。私たちは、笑えません」と、私はそのあとに被災者側の意見として発言しました。
もうひとつは、不登校といじめをテーマにした分科会の中で、それぞれの立場で体験や実践活動を話したあと、不登校やいじめ、問題行動を抱えている子どもたちの対応について、フリースクールの先生が学校現場での教師の取り組みついて提案したところ、参加していた元教師という方が、「これ以上、教師に負担を増やさないで」とかなり強い口調で主張しました。
どちらも、忙しい学校現場の先生たちの様子は伝わってきますが、先生達が「忙しいから」という理由だけで、子どもたちへの対応の遅れや充分な対応が行えないことが、学校の判断だけに委ねられていることに、大きな問題を感じました。
「学校と家庭、地域の連携を図る」と、よく言われますが、具体的にどのような連携を図れば良いのかが、私たちにはまったく見えてきません。
たとえば昨年の小学1年生殺害事件が起きことで行われている登下校の教師の付き添いが、学校の判断だけでいきなり終わってしまうことがあるのではないかと思いました。すでに、なくなっているところもあるかもしれませんが、そのとき保護者に学校は相談をするとか意見を聞いてくれたのでしょうか?何を持って安全と判断するのか、誰が決めるのでしょうか?わかりません。
緊急時の対応に、学校が限界を感じたら、保護者に通知して協力を求めてもいいのではないでしょうか?
我が家の小学校区にも、地域住民に子ども達の見守りを協力の呼びかけが盛んに行われましたが、たぶん時間が経つにつれ、同様な事件が起きなければ事件の教訓はだんだんに風化していってしまうことが懸念されます。
今朝の静岡新聞に、「懇談会や家庭訪問、教育相談が学校との連携に必要」というような記事が掲載されていましたが、、「懇談会や家庭訪問、教育相談」は、学校に対して保護者は受身の状態ではないかと思います。
「学校と家庭、地域の連携を図る」「開かれた学校づくり」を実践するには、まずは学校からの情報公開が必要ではないかと、私たちは考えます。
こんにちは。
またまた、魔女仲間が増えたんですね。
見るブログも増えて、どんどんブログの時間が長くなってきました。(只今、仕事中・・・。)
学校からの情報公開、必要ですよね!
学校便り等々もらってもよく分かりません。
これからもよろしくね。
学校と家庭って、上下関係にあるものではないと思います。
横に並んで、手を組んで行くものだと・・・。
違うのかなぁ?
教師であろうと、保護者であろうと、人間である以上、自分の言葉や態度で傷つく人がないように配慮するものだと思います。
そういう思いやりに欠けた人が、教師の中にいるのだと思うと、非常に不安です。
ryouさん、ぴよぴよさん
ようこそ。ナイトミーティング専門でごめんなさいね。
でも、アクティブさんのブログで、これからは参加させてもらいます。
学校の敷居、いつまで経っても親には、高く感じます。
組織力っていうのかなあ?子どもや親より、権限は、絶対学校にあるよね。
私のところへは「どう思う?」って、時折学校・学級便りが届くことがあります。
いじめについては、事実については曖昧で、抽象的な事例や話を引用して書かれていて、いじめがあったのかなかったのかわからない。親はここで初めて知ることになって、子どもに聞いても曖昧だったりすると、不安ばかりが大きくなってしまう。
あと、「先生は、このクラスは、学年の中でも一番良いクラスだと信じている」とか「○○中学は、素晴らしい生徒ばかりだと信じている」なんて締めてあることもあるけど、いじめられた生徒いじめてしまった生徒は、どう思っているんだろうと考えてしまいます。
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