1月26日は、息子が事件(同級生による集団暴行)に遭った日。丸6年が、経ちました。
6年間、一日も事件のことを考えない日はなかったし、いまも当日の記憶はあせることはありません。
「早く嫌な事は、忘れたら」と言われることがありますが、たぶん一生忘れることができないと思います。
事件の半年位経った頃、「事件のことは早く忘れて、次のステップを歩んでほしい」と言った教育委員会の職員に、息子は「事件を忘れることはできないけれど、自分は事件をいつまでも引きずりたくない」とはっきり言いました。その言葉通りに、少しずつですが彼なりに努力してきました。
しかし、「事件直後と精神的な辛さは変わらない」と、昨年末に弁護士に話したのを聞いて、見えない心の傷を理解することの難しさを、また感じました。
「きょうは、事件の日だね」と、一度だけ家族で話しました。それそれが、いつもより事件のことを口に出して話すことを避けている、そんな一日でした。
一人娘をいじめ自殺で亡くした友人は、娘さんが亡くなった7月になると毎年体調がおかしくなると言う。亡くなった27日は、辛くて苦しいので家に居たくないと家を離れて過ごす。友だちをいじめ自殺で亡くした息子の友だちも、友だちが亡くなった11月になると、心が苦しくなると言っています。
自分が被害に遭わなくても大切な人の命が理不尽に奪われたり、傷つけられたりすれば、目撃したり話を聞くだけでも、心の傷を負うことがあります。
外からは見えにくい、わかりにくい心の傷ですが、苦しいとか辛いとか、自分の気持ちを人に話せて表すことは回復に繋がるそうです。自分の気持ちを受け入れてくれる人との関係が築けていくことで、自信を取り戻して、「体験したことは辛かったけれど、自分の経験が無駄ではなかった」と思うことができることが、回復のあかしになるという精神科医の講演をを聞きました。
人によって傷つけられた心は、人によって救くわれるってことですね。
心の傷は「自分との闘い」だと・・
闘っても 闘っても 負けてしまっている時に 自分の気持ちを聞いてくれる誰かがそばにいるって 救われます。
心の傷には塗り薬も貼り薬もなく、飲み薬の粉・錠剤カプセル・シロップ・・・何もない・・・。
傷ついた本人も、その人を大切に思っている人も、
本当に苦しいでしょうね。
「自分自身」を大切に思える人は、周りの人をも大切に思えるんじゃないかな・・・と思います。
周りにいる人を傷つけることに躊躇しない人は、自分自身を愛せない哀しい人なのかな・・・。
こういう、哀しい出来事は無くなって欲しい・・・。
心から願います。
振り返れば、息子は、恵まれた環境の中で、回復することができてきたと多くの方に感謝する日々です。数少ないPTSDの主治医に出会えたこと、人権派の弁護士に出会えたこと、見守ってくれた友人たち、出合ったよき理解者の人たち。
これが恵まれた環境ではなくて、誰にとっても当たり前になってほしい。
まだまだ、問題は、限りなくありますが。
哀しいできごとを繰り返さないことは、もちろんですが、人にやさしい社会であってほしいですね。やさしくされて、嫌な人はいないと思うから。
心の傷は、他人にもわかりにくいと同時に、自分自身でもわかりにくいもの。無理をしないで、少しづつでいいからね。
心の傷に対して、もっと多くの人たちの理解が得られるようになりたいものですね。
>心の傷は、他人にもわかりにくいと同時に、自分自身でもわかりにくいもの
魔女っ子さんの言うとおり、自分の心の傷はわかりにくい。
心の傷に気づかないと、頑張りすぎて気づいたときは、心がボロボロになっていることがある。
イライラして暴力を家族に振るったり、わざわざいじめに遭うようなところへ出かけていくことも、援助交際をしている女の子の中にも、自分を傷つける行為の裏に心の傷を抱えているケースが多いと聞きました。
辛すぎる傷を封じ込めることも、心の傷を負ったときの症状のひとつで、心を麻痺させてしまえば、どんなこともできてしまう、自分は辛くないと思う自己防衛が働くようです。
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