昨日、県内の私立高校の入試が始まって、高校入試の時期になりました。
太郎は、事件当時中学3年生。高校受験の直前に事件が起こりました。
事件後に、家の中にいても怯えて外出はできませんでしたから、高校入試は諦めることにしました。高校へ進学することが当たり前のいま、「受験ができなくなったらどうなるの?不合格になったらどうしよう」と不安に駆られていた太郎に、今年受験しなくても来年受験ができること、進学の方法は、いろいろあることを話したら、とても安心していました。怪我と心の傷を治すことに、専念しようと決めました。
学校では、1月26日の事件翌日から、高校受験を受けさせるために、毎日毎日訪問してきました。
公立高校の願書締め切りの2月下旬まで、毎日1,2時間、教師らは両親を説得させることに必死でした。受験校に、直接いっていろんな配慮をお願いしてくれたようですが、どれも私たちが望んだことではありません。
最後には、志望校とは全く違う高校へいくように言われたり、「受験さえすれば絶対合格する」とか言われたり、いったい今までの進路指導は、なんだったのだろうか?と思いました。
高校受験をしなければ、「太郎に将来がない」ようなことも言われました。
受験しないのではなく、できないという太郎の状態をいつも繰り返し伝えていましたが、理解されませんでした。
一方、26日28日の事件に関わった少年ら11人(はっきりしている人数だけですが)のうち、4人が推薦で高校に合格したことを、卒業式のあと知りました。事件のことは、全て隠されたまま、親も少年らからも「推薦が取り消されることはありませんか?」と聞かれたことは、一度もなかったこともわかりました。Yは、有名な進学校にスポーツ推薦で入学しました。校長からはYを「君が勉強とスポーツを一生懸命頑張ることで、太郎君は納得してくれる」と勝手な解釈で励ましたことを聞きました。
事件直後は、報道されることなかった事件は、私たちが活動を始めたことでTVや新聞で知らせれることになりました。Yは、卒業後に家庭裁判所に送致が決まり、少年審判を受けて「6ヶ月の保護観察処分」となりました。
Yは、高校に入ってから事件が明るみになったことで、噂が広がり、教師らの責めるような対応を感じるようになって、「自分がどうして良いのかわからなくなった。部活を自分からやめてしまった」と裁判の中で話しました。
事件を隠して進学させた中学校、事件が明るみになってからYへの突き放したような高校の対応を知り、被害者・加害者のどちらも守られていないことを知りました。
太郎は、事件から4年経ってから、定時制にほとんど休まずに通っています。
クラスメートのほとんどが不登校だったそうですが、中学では不登校だったとクラスメートが一日もやすまず通っていると聞いています。
子ども達には、いろいろな進路の選択があって、いつでも機会があることを知らないと親も子どもも不安になるばかりです。
中学を卒業して高校に進学しない子ども達には、どこにも受け入れ先がありません。この谷間で、悩んだり苦しんでいる親子は多いのではないかと思います。
学校に通っている子ども達にだけではなく、全ての子どもに支援が行われるような制度が必要だとおもいます。
読んでいてちょっと肩の力が抜けました。
あと2年で小学校卒業の娘ですが、学校に行ってなかったり、授業に出なかったり。また親が勉強を教えることの難しさと遅れている勉強に、
さて、中学に行けるのか?受け入れてくれる養護学校はあるのか?
あっと言う間に簡単についた心の傷が癒されて元の娘に戻るには、あと2年は短すぎる!
あせらないあせらない。って言い聞かせてるけれど、やっぱり心配は募ります。
義務教育を浪人するのは無理だと思うけど、のんびりいかなくっちゃ!
いつも読んでいて、感心します。色々な視点から見られているんですね。
人間誰しも、障害を持っていると、私は思っています。一番多い障害は「心の障害」では、無いでしょうか。
その障害が、一番自分以外の人を、傷つけるものなんだと思います。
かかさん
割り切っているようでも、周りをみてしまうと焦る気持ちはぬぐいされませんよね。
太郎は、中学卒業直前だったから、「とりあえず義務教育終わればいい」と思っていましたが、高校の入学式に出くわしてしまったとき、私は凄く動揺したことに自分でも驚きました。
そのあとも、考えると不安になることはいまもありますが、のんびり、ゆっくりと過ごす中でしかできないをこと見つけては、時間を使える贅沢を感じることもあります。太郎は、我流でパソコンを覚えてしまったし、私の時間も緩やかに変わったことで、心のゆとりを持つことができました。
中学時代勉強が不得意だった太郎は、定時制で基礎から勉強を教わることができて、得意科目が増えました。
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