活動を通して、多くの人たちの事例を知り、驚くことはたくさんありました。
どれも、当事者にとったら、大きな問題なので、知らなかっただけでは済まされないことばかり。
その中で、かなり驚いたことのひとつは、「学校では、校長の判断がなければ救急車を要請できない」ということ。
熱中症や心不全、過呼吸症候群などの事例で、救急車の要請が遅れたり、要請されなかったことが明らかになっています。「学校外、道端で倒れていれば、見ず知らずの人でも救急車を呼んでくれるのに・・」と子どもを亡くした両親は悔やんでいます。
「学校では、校長の判断がなければ救急車を要請できない」と明確に記されているマニュアル等は、探しても見つかりませんでしたが、学校運営、管理規定やマニュアルやにおいて「校長に報告をして、校長の判断を仰ぐ」というような記載は目立ちました。
学校現場の誰もが救急車を要請できるとなれば、躊躇なく要請ができると思うのですが、報告が遅れる理由には、部活動のしごきや課外活動での判断の遅れを知られたくないという教師達の思いが働いてしまうようです。
救急車を要請されず、学校では「普段と変わりなかったが、少し具合い悪いようだ」と担任が自宅まで送ってきた教師の言葉を信じ、自宅で様子を看ていた子どもが急変して死亡した事例では、暴力受けていたことや転倒していたことを知らされていなかったり、明らかに様子がおかしかったことを隠されて、親は信じてしまい、急変しても何が起きたのかもわからない。
何時間も放置されたままの事例では、校長が電話だけで様子を見るように指示していたり、養護教諭が救急車を要請することを望んだのに要請されなかった、周囲にいた子ども達は異変に気づいていたりしていたが教師が聞き入れなかった事例など、とても子どもを安心して学校に預けられないと思うことばかりです。
あとになって親は知ることになる事実に対して、学校の中や親の知らないところで起きていたことに関しては、証明することも、本当のことを知ることもできません。
「救急車さえ、要請してくれれば良かった」と思うことも、嘘や隠蔽された事実の前には、かなわないのが現状です。
学校事故研究会のメンバーである喜多明人氏らは、平成15年4月に、「学校安全法」要綱案の提言をしました。その中には、「教職員は、児童等に係る学校災害が発生した際には、直ちに適切な救急措置を行い、保護者に連絡するとともに、明らかに軽度で医療行為を要しないと判断される場合を除き、救急車の手配を含め学校医など地域の医療機関等関連機関に通報・連絡しなければならない」という条項を入れました。この条例には、いままでに詳細に取り入れられていなかった学校安全政策が盛り込まれています。
学校安全条例を各自治体や市町村で取り入れていく必要性を感じてはいますが、すぐに条例制定に結びつくはずはありません。学校の安全危機マニュアルは、学校ごとに決められているようですから、子どもが通っている学校へ問いあわせてみてはいかがでしょう。
自分の命を自分で守らなければいけないという現状がある以上、子どもの体調管理に注意する、具合が悪いときは無理をさせない、早めに教師に伝えるなどのことや熱中症などの対応を話しておくなどを、親子で話し合っておく必要性を感じています。
☆本の紹介☆
<提言>学校安全法ー子どもと学校を守る安全指針ー 喜多明人・橋本恭弘編 不磨書房 950円
はじめまして。書き込んであること良く理解できます。確かにそのような学校多いですね。でも、そんな学校ばっかりじゃありませんよ。
教師は、事なかれ主義だと思います。(そのような教師が多い)
また、保護者も学校に頼りすぎると思います。子供たちは、私たち大人の姿を見て育っています。よくも、悪くも。 私たちは、子供たちに、常に見られているのです。責任重大ですね。
めがねさん
そうですね、良い先生もいらしゃいます。
でも、たまたま悪い学校や先生にあったとか運が悪かったということで、当事者とすれば済まされる問題ではありません。
先生や学校ともいろいろあっても、ある程度のことは、黙っていたり、我慢していると思います。これは、どこにおいてもお互い様というところがあって、当たり前ですね。
でも、命に関わることや子どもを守るべきところは、きちんとしてほしい。だって、子どもの教育に携わるという職業を選んで教師になったですから。
そういう信頼感を持って先生や学校に、親は子どもを学校に預けていると思います。
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