先月、「子育て文化協同集会in浜松」に参加するにあたって、あらためて考えたことがあります。
私たちの会は、不登校と一緒に分科会を担当しました。会の紹介を考えていたとき、「いじめ」の活動をしている団体や当事者の会は少ないことを考えました。
いじめによって不登校になるケースは多いので、不登校との関連はありますが、分科会の参加者のほとんど「不登校」の関係者でした。
私たちの会に、電話・相談してくる人たちでも、名乗ることができなかったり、定例会や集会に参加すると「子どもがいじめに遭っていると思われてしまう、わかってしまう」と言われます。また、「いじめのような・・」「いじめまでいかないけれど・・」と、いじめられていたと言えないことがあります。
「いじめの活動しています」と言うと、驚くような表情を見せて、何か触れてはいけない話を聞いているように戸惑う方も多く、「大変ですねえ」と言われます。
社会的に大きな問題として扱われいる「いじめ」。子どもを持つ親同士の話題には、「勉強」と「いじめ」の話題がよくあがり、子どもの問題といえば、「いじめ」の関連が必ず取りざたされているのに、、学校や地域では、いじめが起きていることはタブーとされているようです。
私が会の代表を務めている理由は、唯一名前が出せるからです。中には、家族にも言えないで、こっそりと活動に参加している会員もいます。
「いじめられた子どもは弱い子」「いじめられた方にも原因がある」という考えは、まだまだ多くの人たちにあるようです。地域では、学校や地域でいじめがあったことを「学校の名前に傷をつけた」と言われたり、家庭や親、子どもに問題があるかのように「被害妄想」「変わり者の親」と扱われたり、親戚間でも「恥さらし」というように言われることも珍しくはありません。
最初は「いじめられたこと」に理解を示してくれていた人たちが、学校の問題、地域の問題となってくると、徐々に離れいくことも珍しいことではありません。子どもを守るためには、「いじめられている」と言えないこと、家庭で問題を抱えているケースは、多いと感じています。
いじめられたことよって起きる2次被害は、さらに深刻な状況を作り出します。
いじめは、社会問題とされている今日でも、まだまだ当事者間の問題として捉えれらているのが現状です。だから、いつまで経っても当事者は声を挙げることができません。
現在の状況では、親もどうしていいのかわからなくて、こどものいじめを受け止めることができないこともあります。「もっと、強くなれ」「やられたらやり返せ」と言わないで、ありのままを受け止めてあげてください。
周りの人は、話しかけられたり気がついたら、話を聞いてあげてください。励ましたりしなくても良いので、普段どおりに接してください。声をあげた人を加害視することに、絶対加担しないでください。
いじめが完全になくなることは、難しいと感じています。
「いじめは、あってはならないことです」と言って、いじめを認めないことは、私たちにできることだと思います。