ニュースから
政府の教育再生会議は、旧法務府(現法務省)が約60年前、禁止される
「体罰」に当たるとして策定した教員の行為基準見直しの必要性を、今月末の第1次報告に明記する方針を固めた
学校現場で深刻化している授業妨害などに教師が適切に対応できるようにするのが目的
と、されている。
また、政府の教育再生会議を支援しようと11月30日に東京・平河町の日本都市センターで開かれた「民間教育再生会議」(日本教育再生機構主催)の初会合では、委員の中で、
こんな発言が・・。
躾け、教育、訓練、練習と称して、体罰はいまでも行われているということが、現状だと私は感じている。表面化しない事例で、体罰を受けた後自殺した子ども達は少なくない。
いじめと同様に、「体罰ではない」という、教師の説明が繰り返されている。
いじめと体罰を受けることで、子どもはたくましくなるような意見は、「自分もいじめられた」「自分も体罰を受けた」という経験があるという、名誉や地位築いてきた一部の人達が、体罰・いじめを正当化しようとしているように述べているようしか私はに受け取れない。深く傷つき、声を挙げることができない人達の意見は、なかなか取り上げられない。
どんな経験も、人の心も、他人と比べることはできないはず。
辛い、苦しいと感じている人に、「私はこうだったから、乗り越えろ!」というのは、乱暴すぎる。
ちょっと体に触れただけで、「体罰」と言われてしまうと困惑する教師の声を聞くことがある。
学校現場で深刻化している授業妨害、問題行動を起こしている子どもに体罰が行われているとは、言い難く、いじめと同様に「弱い立場に追い込まれている」子ども達の事例を多く見聞きする。
ブログ仲間のmo-moさんのブログにも、
こんな記事が書いてありました。
いじめ問題と同様に、現状を把握しないで、「学校現場で深刻化している授業妨害などに教師が適切に対応できるようにするのが目的」として、良いのでしょうか?
教育再生会議の趣旨から、教育再生会議は子ども達のためにふさわしい教育が考えられていくものだと思っていたけど、私は思い違いをしていたのかしら?