非公開裁判に・・

5日は、卒業アルバムに元担任に厄介物という意味の「黒い羊」の寄せ書きをされたB子さんの第2回口頭弁論の傍聴に行きましたが、非公開となっていて、傍聴することはできませんでした。
次回も非公開で行われるということですが、「非公開」になった理由はわかりません。
初公判後に、何度かTVで取り上げられていました。当日のお昼の番組でも、放送されていました。
そういう影響もあるのでしょうか?B子さんを気遣ってのことでしたら良いのですが・・。

我が家の場合は、証人尋問の日程調整と結審が近づいた頃、裁判の進行を詳細に調整し確認するときと和解協議のときに、非公開となりました。非公開で良かったことは、広い法廷では、裁判官とは会話を交わすことはできませんが、非公開のときは、小さな法廷で円卓を囲むことから、直に会話を交わすことができました。あまり余分なことは聞いてもらえない、淡々と進行が優先されていきましが、一言でも気持ちを伝えることができたことは良いことでした。

私の他に、法廷外に裁判が終わるのを待っていたのは、報道関係者の4人。静岡市教委の職員は、
傍聴を許可されて中に入っていきました。誰が被告側の弁護士なのかわかりませんが、被告側の人数は10人の大人数。

我が家の裁判ときも、市教委職員2名と赴任しきた校長が必ず傍聴に来ていました。非公開の和解のときにも、市教委の職員は傍聴を許可されていました。
富士市のA子さんの裁判には、いつも20名近くの被告側の傍聴者がいましたが、ほとんどが市職員のようでした。なぜ、このように大人数で傍聴に来る理由はわかりません。

今回は、被告静岡市が原告B子さんの主張に対して、具体的な反論を準備書面で提出してきました。
B子さんのお母さんの話によると、「(寄せ書きをした)担任の対応の教育的配慮が不十分だったこと、寄せ書きがB子さんを傷つけたことと認めるが、学校として責任はない。」ということでした。
静岡新聞の朝刊では、B子さんが3年間別室登校の状態で、学習と学校生活を普通に送ることの奪われたことについては、「学校としては充分な教育的配慮をした」と書かれていました。

裁判に行く前に、B子さんの放送を一緒に見ていた従業員が、「学校にいて、先生が来ないってどういうこと?」と聞いてきました。
B子さんは、プリントを渡されて、一日中誰も訪ねてこない部屋で過ごしていたことが何度もあるそうです。廊下に行き来する先生が、部屋にきてくれるのではないかという期待と落胆する気持ちをいつも持っていなければなりませんでした。
1年のときの担任は、3年間一度も教室にきたことはなかったと聞きました。

他の事例でも、学習は時間は一日の中で、1,2時間程度。授業の空き時間に、手の空いてる先生がきて勉強を教えるという程度で、別室登校の子ども達には、学習する権利が与えられていないことがほとんどです。

「学校が充分に施した」ということと、B子さんが望むものが違っていたのは事実。
責任逃れをするのではなくて、何がB子さんにとって足りなかったのかを考えてほしいという思いは届かないのでしょうか?

次回は、3月5日ですが、非公開となります。


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この記事へのコメント
B子さんのお兄さんが障害者だった事が起因しているとの番組で話がありました。障害者って一体何?心の障害を持つ人間が人を教えてはいけないんじゃないかな~!障害者って呼ばれる人たちに僕はいっぱい教えてもらっています。彼らの強さこそ僕にとっては先生です!
Posted by マサ・サイキョウ at 2007年02月10日 09:58
>マサ・サイキョウさん

大人が持っている偏見や差別がなくならないと、子ども達に「いじめちゃいけない!」って、教えられませんよね。
障がいは個性なんです・・という言葉を初めて聞いたときは、なるほどと思いました。

完璧な人間なんていないのですから、ある意味人は、どこか障がいを持っているといえるのではないかと思います。欠点や短所を、トコトン指摘されたら、辛くなります。家族のことを、言われたらなおさらのこと。
この先生だけでなくて、この先生の発言を放置していた学校の問題も大きいと思います。
Posted by vianca at 2007年02月11日 02:49
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