実名報道

我家は、実名を公表して、活動をしています。

実名を公表すること、特に太郎の名前を公表することは、最初は全く考えていませんでした。
ところが、太郎が先に実名を公表することを決心しました。

暴行傷害事件は、報道はされませんでした。
私達は、我家に起きた大きな事件であっても、社会の中では、どこにでも起きている「小さな事件」だったのでしょう。
事件が報道されるとかされないとか、考えたことはありませんでしたし、太郎の回復を願い、加害者少年達が事実を認めてくれて謝罪してくれることを願って、学校と加害者達の親に対応を求めているだけで、大騒ぎをして事を大きくしようとは考えたことはありませんでした。

いっこうに、事実を知ることもできない、太郎に対して何の対応もされないことに、不信感や怒り、不満が募って行った頃、2000年4月に長野県で、学校の暴力といじめで子どもを亡くした親が会を立ち上げたことを新聞で知りました。この頃には、いま我が家に起きていることは、我が家と当事者間の問題だけではなく、社会的な問題ではないかと考えるようになっていました。

早速、長野の親の会にファックスへ事件の概要と現状を書いて送ったところ、すぐに返事が届きました。短い返信の中に、同じような状況でいる私たちの気持ちを思いやる言葉に、事件後初めて救われた思いがしました。
数日後、親の会のメンバーが浜松まできてくださると連絡がありました。同時に、信越放送の取材も同行するという連絡がありました。同じようにファックスや手紙、電話で連絡をしてきた人の中で、住所や氏名、連絡先を明記できない人が大勢したそうです。いじめを受けた方が、同じ立場にある人にもいじめられたと言えない悲しい社会の現状を知りました。

当日、長野でいじめの取材に長年取り組んできた記者から、「実名を公表してほしい」と言われましたが、実名を公表したことでどうなるのかという不安が大きくて決心がつきませんでした。
太郎は、親の会の飯田高校で息子さんを同級生に刺殺された小野寺勝さんといじめ自殺で息子さんを亡くされて前島章義さんと話しをしていく中で、「亡くなった子ども達は、何も言うことができないが、君はいうことができるじゃないか」と言われて、実名を公表することを決心したと私たちに伝えました。

太郎が実名を公表すると決めたことで、私たち両親も実名を公表することを決めました。
その後、長野県で放送されて信越放送の番組は、編集されて「ニュース23」の特集で全国放送されました。番組が始まる前、終わったあとと翌日から数日間、太郎を気遣い、放送によって起きるかもしれない周囲の嫌がらせなど心配して記者さんは電話をしてきてくれました。

取材を受ける中で、太郎の体験に頷きながら聞いてくれる記者さんやカメラマンの方が、理解してくれていることを嬉しく受け止めています。
放送された番組や掲載される新聞記事を見るたびに、太郎の被害が認められていくことで、事件前の明るい表情の太郎に戻っていきました。

嫌がらせはいくつか何度もありましたが、事件を知って励ましてくれる人や理解者も増えて行きました。そして、太郎が実名を公表していることで、同じような被害者や家族の方が「励まされました」と言っていただけることが、なにより一番良かったと思うことができます。


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