「いじめ自殺見舞金、自宅死亡も対象に…支給制限撤廃」という
ニュース記事
でも、「学校にいじめがあった」ことが認められないと、ダメなんですよね。
文部科学省が、1999年から2006年10月までいじめと自殺の関係を見直しても、いじめ自殺と認定されたのは、調査対象41件中3件だけです。
いままで、わが子自殺の原因が「いじめ自殺ではない」と否認されてきた多くの遺族の方達が、
日本スポーツ振興センターに災害共済給付金(見舞金)の申請をしてきました。見舞金が目的ではなく、いじめ自殺を認定してもらうために最終手段として申請をしたという話しを聞いていますが、もちろん支給対象になることはありませんでした。
支給対象のケースに該当するかどうかの事実確認と申請は、学校と教育委員会に委ねることになっている現状では、該当者に支給されていない事実があります。そして、
「心の傷」は、支給対象にはなっていません。
また、支給が開始されても申請書などにどのような報告内容が記されているのかは、当事者に確認することもなく、教えてもらうこともできません。
「学校災害から子どもを守る全国連絡会」では、学校事故・事件についての情報提供や相談を行っています。
制度の改正が、見舞金の支給というものではなくて、きちんと事実に向き合い子ども達の心と命を守るために役立つものであってほしいと願います。
学校の新年度が始まると
災害給付金の加入金は、給食費やPTA会費と一緒に全ての災
害共済給付契約の対象となる学校の児童・生徒は徴収されています。
私は以前から、授業中、部活動中の怪我や個人的な不注意による怪我などは、問題なく支給対象となっていて、「医療費負担の面で、助かった」という話しを聞いていました。
でも、太郎が支給を受けたケースでは、こんなことがありました。
中2のとき、太郎はひとりの生徒から頭を蹴られてから、3週間後くらいして視力がおちました。病院に行きましたが、暴力と視力低下の関連はわからないと言われたので、そのまま担任に報告しました。担任が事実を調べますと言ってから3週間経っても全く報告がなかったので、再度報告を求めると、校長が「災害給付金を払うから」と言い出しました。ここで、給付金のことを思いだした私でしたが、医療費がほしいのではなく、学校の報告を聞きたいと何度話しても平行線のままでした。
話しがつかず、そのまま帰りましたが、翌日養護教諭が自宅に訪ねてきて、手続きを強引に進めていきました。第3者行為ということで、本来は社会健康保険が使えないため、社会保険事務所に提出するかなりの枚数の書類を書き、支給申請には受診した証明書を病院へ毎月もらいにいくという大変な作業を意に反してやることになってしまいました。3ヶ月遅れの支給金は、なぜか校長室に呼ばれて笑みを浮かべた校長から受け取りました。
2000年1月26日の事件のあとは、すぐに支給金の手続きの話しがでました。今度は事実関係を確認してからという私たちの意志を伝えると、連日のように2時間近く手続きの話しが繰り返されてました。1ヶ月後に市教委の担当職員が「加害者生徒の負担を軽くするために、加害者にも保険を使う権利がある」と言われて、手続きを一切学校で行うという約束で承諾しました。太郎のケースは、「PTSD」の治療費も対象となる特例とする手続きをとったということを聞きました。
(当会で県教委に2003年
要望書を提出した際、2002年度に特例で1件「心の傷」に対して治療対象としたと聞きました。)
しかし、事実を明らかにしないまま、この給付手続きを「学校の誠意」として主張され続けました。
事実、入院費がかかったときは、給付金によって負担が軽くなり助かりましたが、太郎と同時期に入院していた、太郎と同じように暴行事件の被害者の男性は、学校内の暴力事件だったのに、一度も給付の話しを聞いたことがないと話していました。
いじめの事実が認められないだけでなく、学校内の暴力事件、校外活動、登下校時の事件・事故では支給されないケースを多く聞いています。学校・教師の責任追求逃れのためだったり、問題逃れから事実をないものされたり、被害者の過失を追求されたりして、学校管理下にある子どもの命が軽視されている現状から、誰にも権利があるはずの災害給付金や見舞金の支給が行われていないことがあるのです。2重にも3重にも、被害が認められない事実を突きつけられる悲しみと同時に、2度々同じことを繰り返してほしくないという被害者・遺族の願いは、どこにも生かされていかなくなります。